おっさん理系商社マンのブログ

おっさん理系商社マンが日々感じたことをつづります。関連ブログがこちらにもあります。

「死の谷」ってどんな住み心地? ~研究開発に潜む甘い誘惑~

死の谷」と聞いて何を思い出しますか?アメリカにあるデスバレーですか?決してひとりで行ってはいけないという。でも今日は研究開発に潜むもうひとつの「死の谷」について書いてみます。

 

f:id:rikei-shoshaman:20170919150707j:plain

 

Wikipedia によると、研究開発には以下のような困難があるといいます。

 

  • 「魔の川」:基礎研究から応用研究までの間の難関・障壁
  • 「デスバレー(死の谷)」:応用研究からニュービジネスあるいは、製品化までの間の難関・障壁
  • ダーウィンの海」:ニュービジネスあるいは、製品化から、事業化までの間の難関・障壁

Wikipedia デスバレー(研究開発)より引用)

 

死の谷とはいわば、応用研究からビジネス化までの困難な期間のこと、言い換えれば研究室から市場に打って出るまでの苦難を指す言葉です。新しい物理の原理を解き明かすといった研究を基礎研究と呼ぶとすると、応用研究とは、「この技術を実社会のこういうところに活かせるのではないか」という仮説は最低限もてている状況だと考えます。

 

死の谷」に込められた意味は、まだその仮説がマイナーであり、なかなか周囲や市場に受け入れられない状態。すばらしい技術なのに認められず、長い間塩漬けになって結局研究の継続を断念せざるを得なくなる、そんな悲観的な意味なのでしょう。

 

ここで、立ち止まって問いかけたいことは、「死の谷」というメタファは誰が言い始めたのかということです。おそらく研究の当事者が自虐を込めて使い始めたのではないでしょうか。それに、経営学者がもっともらしく理屈をつけたのではないか、これが私の推測です。

 

そして、現役の研究者が、「我々は今、死の谷にある」と言ったとき、そこには自虐の念だけでなく周囲への言い訳が込められている場合が多いと感じます。応用研究とビジネス化の間にあるギャップは、環境のギャップではなく、研究者自身の内面にあるギャップだと思うからです。研究者の多くは、好奇心に突き動かされて、研究そのものを楽しんでいるので、応用研究が終盤にさしかかり、市場性とか費用対効果とか経営っぽいキーワードが目の前に並ぶと、とたんに不快感にさいなまれるのです。彼らにとってビジネス界は、不快ゾーン ( uncomfortable zone ) なのです。

 

それは偏見だと感じる方がいらっしゃるかもしれません。これはあくまで私の個人的印象なのでどうかご容赦ください。ただ、私自身、20年以上応用研究に携わった経験がありますので、それほど外れた感覚ではないと自負していますし、少なくともそういうケースがあったのは事実です。

 

すると、次にどういうことが起きるでしょうか。形式的なフィジビリティスタディとプロトタイピング、市場実験の結果、「まだ市場性がない」とか、「すでに米国ベンチャーに遅れをとっている」とか、「莫大な投資が必要で現実的でない」とか、「当社にはふさわしい事業部門がない」というもっともらしい理由がついて、研究は中断されるのです。

 

担当研究員はどうなるでしょうか。最も厳しい場合は路頭に迷うことになりますが、多くの場合はそうはならず、心機一転、新たなテーマで研究提案して、またスタートラインに立つことができるのです。かくして、向こう5年は死の谷でじっくり研究に打ち込むことができます。

 

当の研究者に「死の谷」の住み心地を聞いてみたいものです。「のんびり研究ができるので、そう悪くないよ」と答えるのではないでしょうか。しかし、真剣に社会変革=イノベーションを目指さない研究は研究といえるのでしょうか。それは研究らしきもの、もしくは研究ごっごではないでしょうか?

 

日本の産業界、特に大企業は、高度経済成長の過去の栄光を懐かしんで、静かに余生を過ごしている。そんな印象を持っています。特に、いわゆる中央研究所は、かつて花形であったプライドを捨てきれずに、生まれ変われずにいるように思います。「死の谷」はいっとき、居心地がよいかもしれませんが、その先に待っているのは組織全体の突然死です。

 

死の谷」モデルは、経営者が事業を俯瞰するのにはよいメタファと言えます。しかし、研究者自身はそんな表面的なメタファに捕らわれず、信念をもって研究に取り組んでほしいと思いますし、私もそういう研究者を支援したいと思います。

 

シュンペーターによれば、イノベーションの第1項は新結合であり、よく知られていますが、第2項は継続、なのです。肝に銘じたいと思います。

 

今回の話題は、「死の谷の住人仮説」として、仲間内で何度も議論した内容です。この場をお借りして、彼らにも感謝したいと思います。

 

少々辛口な内容にもかかわらず、最後までお読みいただき誠にありがとうございます。