おっさん理系商社マンのブログ

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中年転職 48歳でも遅くなかった ~転職決行編~

いよいよ転職に向けて運命が動き始めました。転職決行編です。

 

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 ※写真はイメージです

 

ビジネススクールを無事卒業し、この学びを自社の改革に役立てたいとの想いで、無理を言って開発マネージャと、本社マーケティング企画部の兼務をさせていただいたのがこのころです。技術戦略やアライアンスの提案、公募制の新事業開発のステコミなど、これまでにないいろいろな仕事を経験させていただきました。そして、いまにつながるいくつかの事業の種の仕込みにも取り組めました。自分のキャリアの方向性がおぼろげながら定まり充実していたと思います。

 

しかし、東北大震災で工場が被害を受けたことも相まって、業績不振が重なり、未曽有のリストラが何度も行われる事態になりました。優秀な仲間が次々に会社を去っていくことはとてもつらかったです。経営方針も業績回復が最優先され、もともと私の得意分野である新技術、新事業の類の優先度が下がりました。当時、まだ有望な技術プロジェクトを任されており、優秀なチームメンバも残っていたのですが、このままここでキャリアを積んでいてよいのだろうか、私という人材がもっと活かされる場があるのではないか、という自問自答が続きました。

 

ビジネススクールを出てからは、自社内で煮詰まることがないよう、できるだけ社外のイベントやワークショップに参加していました。そんなとき、あるワークショップでの出会いから、総合商社への転職のオファーをいただいたのです。

 

その顛末は、↓にも書きましたのでよろしければご覧ください。

rikei-shoshaman.hatenablog.com

実は、当時自分の人材価値はどんなものかと思い、転職サイトへの登録や、ヘッドハンターの方との面談は何回か経験していました。でも、そこでの結論は、「現職をつづけた方がよい」だったので、転職は無理なのかなと思っていました。そんなときの転職オファーだったので、ちょっと驚きました。最初の返事は、

 

「いま、転職は考えていないので、すみません」

 

というそっけないものだったと思います。しかしその後も自問自答は続き、いろいろ煮詰まっていることもあったので、半年くらい経って、思い切って面接を受けることにしました。当初、総合商社の東京オフィスでの新事業開発というお話しだったのですが、いろいろあって、最終的なオファーは、子会社の名古屋本社の契約社員、単身赴任、というものでした。心に余裕があれば、もう少し条件交渉したのかもしれませんが、その時はもう勢いしかなかったので、オファーに感謝して受けることにしました。

 

「どうせ、48歳で転職するなら、単身赴任で仕事に打ち込んでみるのもよかろう、それくらい苦労しなきゃウソだろ>自分」

 

みたいな感情だったと思います。9月に名古屋で面接を受け無事合格。11月末までに優秀な部下にプロジェクトの引継ぎを終えて、退職、12月2日(月)から名古屋に出社と慌ただしいスケジュールでした。住居は、ネットで見つけた会社から徒歩1分のマンスリーマンションを内覧をせずにホテル感覚で決めました。とにかく新しい職場で仕事に集中しようと考えていました。

 

12月1日(日)に、節約のため朝、新宿発の高速バスで名古屋に向かいました。妻とこども2人が見送りに来てくれたことが思い出されます。とてもよい天気で、SAで見る富士山が目に焼き付いています。心なしか、演歌のフレーズが浮かんだりとか(笑)。まさに浪花節だよ人生はですね(ちょっと自分に酔いすぎかも)。

 

ここでの学びですが、

 

  1. いまいる会社でもいろいろもがいてみましょう。経験が積めます
  2. 社外のイベントなどにも出て人と会いましょう。SNSも効果的です
  3. 最後は勢いに乗って、人生のドラマを楽しんでしまいましょう

 

いかがだったでしょうか。続いて、転職定着編をお楽しみください。

 

転職準備編

転職決行編

転職定着編

 

 最後までお読み下さり、ありがとうございます。