中年転職 48歳でも遅くなかった ~転職定着編~
48歳、転職初心者の単身赴任生活が始まりました。
※写真はイメージです
転職決行編では、「最後は勢い!」とか言いましたけど、実際はじまってみるとそこにはいろんな現実が待ち構えています。
48歳の中年転職、初めての転職、初めての単身赴任、そして異業種
当時の私には三重苦揃っているように思われました、夜な夜なチャットや電話でなぐさめてくれた諸先輩、友人達には心から感謝します。
48歳の新入社員とはまことに心細いものです。面接では役員の方に、「ぜひ新しい事業を作りましょう」とは言っていただいたものの、例えば役員待遇でヘッドハントされるとかそういうことではありませんから、まずは会社に溶け込むことからはじめる必要がありました。マーケティング部の末席で、肩書なしの名刺からのスタートです。
現場のみなさんは、私が何者か知らないですから最初はこのおじさん何ができるだろうと怪訝に思っても当然でしょう。最初の数か月は、営業のアポとりのお手伝いやら、予算資料の印刷、製本作業やら、文字通り新入社員なみのお手伝いもさせていただきました。ちょっと戸惑ったことも多かったのですが、その過程で、職場のみなさんと飲みに言ったり少しずつ溶け込むことができたのはよかったです。
で、わたし根がまじめなものですから、この場でお役にたつにはどういう動きをすればいかとか、変に気をつかってしまって、自分を新しい職場に合わせ込もうと右往左往していたように思います。これが今思えば結構ストレスでした。
でも、ある時、「あなたに期待されてるのはそんなことじゃないんじゃない?」と言われたのをきっかけに吹っ切れて、そこからは自分のキャラを前面に出して、自由に動かせていただくようになりました。すると、周りも、「ああ、そういうキャラだったんだ」というのを理解してくれるようになり、結果自分が望むような依頼が舞い込むことが多くなってきました。
転職2年後には、親会社の東京本社に転籍となり、インキュベーション部門の一員となりました。転職3年後には、契約社員から正社員登用になり、自分の中ではようやく総合商社への転職が完了したという思いでした。正社員登用の試験も、すでに51歳になった白髪のおっさんが、若い女子社員に交じって筆記試験を受ける図は、それはそれでよい思い出です。何より、幹部や職場の方々が私のキャラを理解してくださり、「彼をなんとか活用してあげよう」と思ってくださっているのが本当にうれしいです。転職してよかったなと思う瞬間です。
想いを残してきた、元の会社のチームメンバとも、仕事上のつながりも出てきていますし、私と同じような転職組の連中とは、企業連携の相談をしたり、転職でいろいろ苦労もしましたが、いまは仕事の目線も、活動範囲も広がり、もうひと花もふた花も咲かせよう、「節目研修」で描いたビジョン図のように、日本の産業やエンジニア達を元気にしようという野望がふつふつとわいてきています。
これは、まさしく
「第二の青春」
のはじまりではないでしょうか(笑)
ここでの学びは、
- 転職先では苦労も新しい体験として楽しもう
- 自分を押し殺すのではなく打ち出して行こう
- とはいえ、つらいとき相談する、先輩、友人、家族は大事
です。
以上で、中年転職三部作を終わります。
転職定着編
最後までお読みいただきありがとうございました。
中年転職 48歳でも遅くなかった ~転職決行編~
いよいよ転職に向けて運命が動き始めました。転職決行編です。
※写真はイメージです
ビジネススクールを無事卒業し、この学びを自社の改革に役立てたいとの想いで、無理を言って開発マネージャと、本社マーケティング企画部の兼務をさせていただいたのがこのころです。技術戦略やアライアンスの提案、公募制の新事業開発のステコミなど、これまでにないいろいろな仕事を経験させていただきました。そして、いまにつながるいくつかの事業の種の仕込みにも取り組めました。自分のキャリアの方向性がおぼろげながら定まり充実していたと思います。
しかし、東北大震災で工場が被害を受けたことも相まって、業績不振が重なり、未曽有のリストラが何度も行われる事態になりました。優秀な仲間が次々に会社を去っていくことはとてもつらかったです。経営方針も業績回復が最優先され、もともと私の得意分野である新技術、新事業の類の優先度が下がりました。当時、まだ有望な技術プロジェクトを任されており、優秀なチームメンバも残っていたのですが、このままここでキャリアを積んでいてよいのだろうか、私という人材がもっと活かされる場があるのではないか、という自問自答が続きました。
ビジネススクールを出てからは、自社内で煮詰まることがないよう、できるだけ社外のイベントやワークショップに参加していました。そんなとき、あるワークショップでの出会いから、総合商社への転職のオファーをいただいたのです。
その顛末は、↓にも書きましたのでよろしければご覧ください。
rikei-shoshaman.hatenablog.com
実は、当時自分の人材価値はどんなものかと思い、転職サイトへの登録や、ヘッドハンターの方との面談は何回か経験していました。でも、そこでの結論は、「現職をつづけた方がよい」だったので、転職は無理なのかなと思っていました。そんなときの転職オファーだったので、ちょっと驚きました。最初の返事は、
「いま、転職は考えていないので、すみません」
というそっけないものだったと思います。しかしその後も自問自答は続き、いろいろ煮詰まっていることもあったので、半年くらい経って、思い切って面接を受けることにしました。当初、総合商社の東京オフィスでの新事業開発というお話しだったのですが、いろいろあって、最終的なオファーは、子会社の名古屋本社の契約社員、単身赴任、というものでした。心に余裕があれば、もう少し条件交渉したのかもしれませんが、その時はもう勢いしかなかったので、オファーに感謝して受けることにしました。
「どうせ、48歳で転職するなら、単身赴任で仕事に打ち込んでみるのもよかろう、それくらい苦労しなきゃウソだろ>自分」
みたいな感情だったと思います。9月に名古屋で面接を受け無事合格。11月末までに優秀な部下にプロジェクトの引継ぎを終えて、退職、12月2日(月)から名古屋に出社と慌ただしいスケジュールでした。住居は、ネットで見つけた会社から徒歩1分のマンスリーマンションを内覧をせずにホテル感覚で決めました。とにかく新しい職場で仕事に集中しようと考えていました。
12月1日(日)に、節約のため朝、新宿発の高速バスで名古屋に向かいました。妻とこども2人が見送りに来てくれたことが思い出されます。とてもよい天気で、SAで見る富士山が目に焼き付いています。心なしか、演歌のフレーズが浮かんだりとか(笑)。まさに浪花節だよ人生はですね(ちょっと自分に酔いすぎかも)。
ここでの学びですが、
- いまいる会社でもいろいろもがいてみましょう。経験が積めます
- 社外のイベントなどにも出て人と会いましょう。SNSも効果的です
- 最後は勢いに乗って、人生のドラマを楽しんでしまいましょう
いかがだったでしょうか。続いて、転職定着編をお楽しみください。
転職決行編
最後までお読み下さり、ありがとうございます。
中年転職 48歳でも遅くなかった ~転職準備編~
「中年転職」
最近こんな言葉をよくみかけるようになりました。先日もNHKのクローズアップ現代でとりあげられ、ネット上でも議論が巻き起こっています。
私は、現在52歳ですが、48歳のときに、半導体系メーカから総合商社に転職しました。そしていま、転職してよかったなと心から思っています。そこで、少しでもみなさんの参考になればと思い、私の転職の顛末を、転職前後を含めて、3回にわたって書いてみようと思います。今回はその1、転職準備編です。
※写真はイメージです
私は半導体系のメーカーで20年あまり開発に取り組んできました。大学院を出ての就職だったので入社時期こそバブル後ですが、世代的にはバブル世代です。社員の年齢分布でも一番多い世代です。
いま振り返れば、入社時から業界の衰退はゆっくり始まっていたのですが当時は知る由もなく、このまま定年まで会社員人生を全うすると思ってまったく疑っていませんでした。29歳で結婚して、すぐに長男を、3年後に長女を授かり、30代は子育てにあけくれた記憶しかありません。
ちょうど40歳を迎えるころ、会社で、「節目研修」というものがありました。自分のこれまでの職責を振り返り、好きなこと、得意なことはなにか、これからの心構えはどうするか、性格診断などいろいろなワークを取り入れた研修でした。
いま思えば、この「節目研修」がのちの転職への布石になっていたと思います。当時、転職はまったく考えていませんでしたが、とはいえ、このまま惰性でキャリアを重ねていてよいのだろうか、もっとなにかできるのではないか、という思いがありました。
私は技術開発のマネージャをしていましたが、事業化活動のなかで、技術面だけの取り組みに限界を感じており、マーケティングや、事業戦略、人材活用に興味が湧いていたころです。「節目研修」では、自分がこの先やりたいことをビジュアルに表現してみようという課題がありました。これがそのとき描いた図です。
「節目研修」は自分を振り返るとてもよい機会だったと思います。自己分析レポートを事前に提出して、人材コンサルの方から丁寧なアドバイスをいただきました。ただ、当時もったいないなと思っていたのは、「節目研修」をめんどくさそうに感じている同僚たちでした。自己分析レポートもろくに書かないので、せっかくのアドバイスももらえない。会社に対していろいろ不満はあるにせよ、こういう機会に真剣に取り組めるかどうかは、あとあと効いてくると思います。
私に対するアドバイスは、「専門性が高いのはよい。シニアになり、経営のことも勉強するとバランスがとれるだろう。当面はこの会社でキャリアを積んでいきましょう。」というような内容でした。このアドバイスにも触発され、その後、社内のMOT研修や、小集団活動に参加し、そこでのご縁で、44歳の時にビジネススクールに派遣していただくことになったのです。
そこに至るまでにも、紆余曲折あったのですが、「このままじゃいけないんです」だの「自らが学ばなければマネジメントできません」だの、上司の顔を見るたびにギャーギャーいって、結局いろいろな支援を受けて、学びのチャンスを手にすることができたのです。ビジネススクールなど考えたこともなかったですが、もがいているうちの自然な流れでした。
ビジネススクールはシニア向けの1年間のインテンシブコースで、15名ほどのクラスでした。仕事をしながら、水曜の夜と土曜終日の登校、毎日アサインメントと呼ばれる宿題がわんさと出て、まだ子供が小さいのに徹夜続きで、日曜の家族サービスもままならず、ほんとに大変でした。でも、得たものは想像以上に大きかったです。知識とかスキルとかではなく、いろいろなものの見方、とことん考えること、チーム議論の進め方、そして何より多様性に富んだクラスメートとの相互刺激です。彼らとの付き合いはいまでも続いています。
当時転職はまったく意識していなかったのですが、いま思えばこの時期に転職に向けた地盤固めができたことは大きかったと思います。整理すると、
が大きかったと思います。
転職決行編につづきます。
転職準備編
最後までお読みいただきありがとうございました。
「井の中の蛙」の続き知ってますか? ~ことわざ、格言の思い込み~
アメリカ出張の機内で映画を観ました。
www.teiichi.jpリラックスしたかったので、軽めの作品を選んだわけです。娘から評判は聞いていたのですが、菅田将暉はじめ若手イケメン俳優の力のこもった演技は思いのほか楽しめました。
さて、この物語、生徒会長選挙がテーマなのですが、千葉雄大演じる物静かな次期候補に対して、現生徒会長が、
というようなくだりがあって、私、恥ずかしながら後半の一節を知らなかったので思わず感動してしまいました。確かに、井戸の中からも空は仰ぎ見ることができますね。むしろ、地上にいるより空を見つめる時間は長いかもしれません。
他にも、後半が知られていない、格言やことわざがありますね。今日はよく知られている2つの例を取り上げてみます。まず1つ目。
「情けは人のためならず」
どうですか?さすがに「情けをかけることはかえって人のためにならない」とは思ってないですよね(笑)。「人のためにかけた情けはいつか巡り巡って自分に戻ってくる」という意味です。これもちゃんと後半があるんだそうです。
「情けはひとのためならず、巡り巡って己がため」
これなら間違えないのにね。ちなみに、「いつか巡り巡って」という部分ですが、SNSの時代になって、自分に戻ってくる時間はかなり短くなっているんだそうです。確かにそういう実感はありますよね。参考図書をあげます。
GIVE & TAKE 「与える人」こそ成功する時代
さて、2つ目は、
「やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ。」
山本五十六の名言として語り継がれているものです。人材育成の基本姿勢としてよく取り上げられますよね。実はこれにも後があるのです。
「話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず。」
「やっている、姿を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず。」
注:もともとの出典その他は諸説あり
どうですか、より深い洞察を感じますよね。以前、当ブログで、パラダイム=固定観念について書きました。
rikei-shoshaman.hatenablog.com
よく使われる、ことわざ、格言につても同様の固定観念、誤解がありそうです。もう一歩踏み込んで考察するくせをつけていきたいものです。
今回も最後までお読みいただきありがとうございました。
会いたいならメールしてみたら? ~コールド・メールのすすめ~
最近はインターネットのおかげで各界で活躍するいろいろな方やベンチャー企業の情報が手に入るようになりました。挑戦している方の記事を読んで、お会いしたくなったり、このベンチャーもっとこうすればよいのに、と提案したくなったり、そんなときみなさんはどうしていますか?
私の場合、まず共通の知り合いがいないか確認します。最近はFaceBookの友達検索などでけっこうわかるので助かります。で、そういうつてがなければ、迷わず
メールします
それなりに有名な方なら、たいていネット上にアドレスがあります。もしくはFaceBookやTwitterのDMを使うこともあります。会社の場合は、ホームページの問い合わせ先にメールを送ったりもします。経験上50%くらいは返信があり、30%くらいは実際にお会いするアポイントを取るところまで行きつきます。
けっこう高い確率だなと思うのですがいかがでしょうか。こういう話をすると、周囲の反応はさまざまです。
「よく気楽に書けるね。返信がなかったら落ち込まないの?」
「いきなりメールするとか、やっぱ失礼じゃない??」
「DMとか軽すぎるのでは。代表番号に電話すべきだろう。」
どれも一理あるといえばあります。ただ、私はあまり深く考えずにメールしてみることにしています。だって、会って話したいなと思ったのですから、その気持ちの冷めないうちに行動したほうがよいですよね。メール出すだけですよ?スマホで記事を読んだ10秒後にはメールできるんですよ?
ただ、メールとはいえ、見ず知らずの方の時間に割り込むのですから、私なりに以下のことは注意しています。
- まず自己紹介をしっかり書く
- 次に数行で要点を伝える。特になぜ会って話がしたいのかを明確に表現する
- 詳しい内容を書きたければ、返信をいただいてからにするか、後半にまとめる
例えば以下のような感じです
〇〇様
はじめまして□□と申します。
突然のメールにて失礼いたします。
私、〇〇に取り組んでおりまして、〇〇様の△△に関する記事を拝見し感銘を受けるとともに、〇〇に関してご協力ができるのではないかと考えました。お忙しいとは存じますが、一度お話する機会をいただきたく、ご返信にてご都合をお聞かせいただければ幸いです。
なにとぞご検討のほどよろしくお願いします。
なお、〇〇に関するアイデアは以下にまとめてみました。
お時間があるときにお読みいただければと存じます。
----
<アイデア説明>
ご参考になりますでしょうか。
余談ですが、私、電話は苦手です。それこそ、他人の時間に暴力的に割り込むような気がして。ですので、ほとんどの場合メールを使うようにしています。
こういうことはもう、十数年前からやっているのですが、後に、こういうメールのことを「コールド・メール」と呼ぶことを知りました。ハーバードビジネスレビューの記事でも扱われているのを見て驚きました。
さらに、私のことを力づけてくれたのは、TEDのプレゼンテーションです。ジャック・アンドレイカ少年は、画期的なすい臓がん検査のアイデアを実現するのに、コールド・メールを用いました。彼が何通のメールを送ったのか、ぜひプレゼンテーションを観てください。
彼に比べれば、1通のメールの返信がないくらい、どうしたというのでしょう。
新しいつながりを得るのに、ちょっとの努力をしてみませんか?
最後までお読みいただきありがとうございます。
世界をまたにかけるビジネスマンになるには? ~夢ノートのすすめ~
「世界をまたにかけるビジネスマン」ってどんな感じでしょうか。毎週のように世界中を飛び回り、華麗に交渉し、大きな商談をまとめてくる、そんな感じでしょうか。
世界を飛び回るという意味では、今年の私もけっこうイケてるかもしれません。おかげ様で自由に海外出張させていただいていて、現時点で以下のような感じです。
2月 香港
6月 台北、フランクフルト
7月 サンタクララ
8月 メルボルン
9月 ワシントン、ボストン
前の会社では、20年勤めて両手で足りるくらいでしたから、だいぶ増えてますよね。華麗に交渉かどうかは別として(汗)、とりあえず世界をまたにかけている、といっても怒られないですよね(笑)。私の友人の中には、この倍以上海外出張していて、しかもシビアな交渉をもこなしている人もいるので心苦しいのですが。
さて、このように自由に海外出張させていただいているのは、もちろん、現在の職場の理解があり、私自身の役割も徐々に明確になってきて、さらなる貢献を目指して取り組ませていただいている、というのが実際なのですが、ひとつだけ思い出したことがあるのです。それは、
「夢ノート」
の存在です。実はちょっと(かなり)恥ずかしいのですが10年ほど前にある自己啓発系のセミナーに出て、そこで、夢ノートをつくることを勧められたのです。呼び方は、未来日記、だったり、トレジャーノートだったり違いこそすれ、こういうのってみなさんもどこかで聞いたことがあるのではないでしょうか。簡単に言えば、
「ノートに書いたことは実現する」
というものです。なんか、いい年した私が言うのも気恥ずかしいですが、そういえば10年前になんか書いた気がしたので、押し入れからノートを出してみました。そしたら、あるページに、
とありました(汗)。
変化はこの後すぐだったわけではなく、5年後の2012年に家族でアメリカに旅行に行ったときから現れました。その時壊れたスーツケースを捨てて、旅先で新しいスーツケースを買ったのですが、この夢ノートのことを知っていた妻が、「世界中に連れてってください」ってスーツケースに願掛けしてくれたんです。その後徐々に出張の機会が増えて行きました。
余談ですが、最近は査証をホチキスで閉じこむことはなくなったので、パスポートはちっともふくれあがりませんが、スタンプはかなりたまりました(笑)
ということで、今回はおじさんにふさわしくないネタでしたが、「夢ノート」、おすすめですよ?ということで、しめくくりたいと思います。
今回も最後までお読みいただきありがとうございました。
先輩が結婚したので、転職しました ~偶然と選択バイアス~
私は48歳で転職したのですが、その理由は「先輩が結婚したから」でした。
いったいどういうことでしょうか?
ひそかに想いを寄せていた先輩が結婚して自暴自棄になり転職したというのでしょうか・・・まさかね(笑)
みなさん、今の自分の立場を振り返って、いったいいつのどの選択がいまの人生を決めたのだろうと考えることはありませんか?もしくは、新しい人生の選択を前にどちらを選ぶべきかと思い悩んだこともあるのではないでしょうか。今日はそんなお話をしてみたいと思います。
その前に、私の転職についてですが、振り返ってみるとこんな感じだったのです。
職場で、ある噂を聞きました。すでに卒業(退職)された先輩の女性がご結婚されたというのです。当然私は、「誰と?いつ?」と質問したのですが、「さあ。本人に聞いてみれば」と言われたので、早速メールしてみることにしました【選択①】
To:先輩
こんにちは、おひさしぶりです
ところで風の便りで聞いたのですがご結婚されたそうですね?
おめでとうございます!
From:先輩
噂が伝わるのは早いですね。ありがとうございます!
・
・
・
ところで、こんどワークショップを主催するのだけど、手伝ってもらえませんか?確かそういうの興味あるんでしたよね。
ん?なんか予想外の展開ですけど、確かにワークショップの運営側に回るのって面白そうだったから、お手伝いすることにしました【選択②】
ワークショップは、業界で著名なT氏の基調講演と引き続いてのグループワークでした。結構参加者も集まりましたし、ワークショップは成功しました。基調講演の内容がとても興味深かったので、さっそくFaceBookでT氏に友達申請して【選択③】、受理していただきました。
このことがご縁となり、T氏とはFaceBook上でのやりとりが続いたのですが、半年ほどたったころ、転職のお誘いを受け、いろいろありましたが、結局そのお話をお受けして転職することを決意しました【選択④】
整理してみますと、
【選択①】先輩に「結婚おめでとうございます」のメールを送信
【選択②】先輩が主催するワークショップの手伝いを引き受ける
【選択③】ワークショップで基調講演をされたT氏に友リクを送る
【選択④】T氏からの誘いを受け転職を決意する
これが、転職に至る私の「選択」の流れです。ですから、途中を省略すると、このブログの表題のとおり、
「先輩が結婚したので、・・・転職しました」
で間違っていないでしょう?(笑)
みなさんも、人生の一大決心=選択をされたことが何度もあると思います。部活、大学、ゼミ、就職、友人、恋人、生涯の伴侶、などなど。そのどれかひとつを選んで、私のように選択の経緯をたどってみてください。驚くほど、ささいな、ちょっとした選択がその後の人生を決めていることに気づいて驚くのではないでしょうか?
人生は偶然の連続です。「偶然」という表現がしっくりこないのなら、「ご縁」、「運」などと読み替えていただいても結構です。運やご縁は自分ではどうしようもできません。しかし、それをきっかけとして次の行動を選択することはできます。そしてこの選択の連鎖こそが人生を形作っているといっても過言ではないのです。つまり、
選択の連鎖 ≒ 人生
こうなると、「今日どの洋服を着ていくか」、「ランチに何を食べるか」、「電車で行くか徒歩にするか」、日々のささいな選択を慎重にすべきではないかという気になってきます。AかBか選択後の仮説思考をめぐらせて、少しでも期待利得が大きい方を選んでいけばよいのでしょうか?
さすがにそれは無理です。神経衰弱して疲れますし、何より人生が重苦しいものになってしまいます。想像してください、一歩目を右足にするか左足にするかでいちいち悩む人生を。もっとおおらかで自然に生きたいじゃないですか。
とはいえ、よい選択を重ねてもっとなりたい自分、なりたい人生に向かいたい、それもまた人情です。そのために重要な考え方のフレームが、「選択バイアス」という考え方です。日々の細かな選択はすべて、その人の性格や考え方に支配されています。つまり選択にはくせがあるのです。このくせを理解して、選択バイアスを少しずらすことで、驚くほど人生は変わっていきます。
例えば、
「安全で楽な方を選ぶ」と「きついけど面白そうな方を選ぶ」
「これまで経験したことを選ぶ」と「新しいことを選ぶ」
などです。もしかしたら、
「朝食を食べない」と「朝食を食べる」
で何か変化が起きるのかもしれません。どんな変化かはわかりませんが、試してみる価値はありそうです。仕事のやり方や、友達とのかかわり方、放課後の過ごし方など、ちょっとした選択の違いを試す機会はたくさんありそうですよね。
「選択の科学」で知られているコロンビア大学のシーナ・アイエンガー教授によれば、一般人の一日の選択は平均70程度なんだそうです。これって、単純に考えれば、選択の組み合わせで、1日だけで、2の70乗の可能性があるということですよね。驚くべきことです。教授は、「選択日誌」というものを勧めています。これは、日々の選択を記録することによって、個人の選択のくせ、選択バイアスを明らかにするというアプローチです。
ここで、シーナ・アイエンガー教授のTEDのプレゼンテーションがありますので、ご紹介しましょう。
最後に。
自分の人生の方向を大きく変える実験をしてみたかったら、今日から、自分が考えた選択と逆の選択を選ぶことを心がけてみましょう。
その結果なにが起こるかは・・・お楽しみです
最後までお読みいただき誠にありがとうございます。